勝沼富町に10代で伊勢から嫁ぎ、戦中〜戦後を生きてきた自身の体験や、映画劇場やカフェーもあり賑やかだった富町商店街のことなど、歴史を振り返りながら勝沼の将来に対する期待などをお話しいただきました。
開催日 4月16日(木)
開催時間 午後7時30分〜
場所 かつぬま文化研究所 (甲州街道沿い旧川口園)
お話 三森 みね子さん (丸美屋さん)
参加費 投げ銭 (目安300円)→運営・記録に活用します。
●伊勢から甲州へ、17歳で嫁いで
関西弁が通じない・・・・
●戦中の田の管理
読めとして水見の苦労
●玉音放送の日
平和のありがたさ、窓から灯りが・・
●富町が賑やかだった頃
映画館やカフェーがあった頃
●経済成長で失われたもの
駅からの帰り道、真っ暗闇で声を掛けられて・・人の情けのありがたさ
☆話し手プロフィール☆
大正15年、三重県鈴鹿郡亀山町(現亀山市)生まれ。鉄道員の父と専業主婦の母のもと9人兄弟の四女として育つ。県立亀山高等女学校卒業後、大阪市内の裁縫学校で学ぶ。太平洋戦争中の昭和19年、母親の実家が祝村上岩崎にあった関係で、勝沼町富町の農家・三森太郎と結婚、勝沼へ移り住む。まったく経験のなかった農業に従事する。昭和20年、夫・太郎が沖縄で戦死。昭和22年、ニューギニアから復員した太郎の弟・今朝造と再婚、一男二女をもうける。再婚後、農業だけでは生活が苦しいため、化粧品や小間物を扱う商店「丸美屋」を開業、商売の傍ら、夫のブドウ栽培の手伝い、子育てにと励む。夫亡き後、82歳になる今も商店を続け、バイクに乗り配達をするなど現役として働いている。子供の頃から本が好きで、少女時代にはプロレタリアート作家であった小林多喜二の『蟹工船』などを隠れて読んだという。戦後、勝沼町の読書会に入会、その後「勝沼短歌の会」に所属し、生活に追われる合間を縫って、心のよりどころとして歌を作り続けている。戦前から戦後にかけて、仲町を凌ぐ賑わいをみせた富町商店街とともに生きてきた。映画館やカフェがあった時代についても詳しく、多くの思い出を持っている。